ガースー総理、証拠隠滅失敗の巻
2012年、東日本大震災が起きました。
当時は民主党政権でした。民主党にとっては、不運だったと言わざるを得ません。
戦後の混乱期を経て55年体制が確立してから、自民党以外が政権を握ったのはほんの数年だけ。そのわずかな期間に、あの大惨事が起きるとは!
自民党は、鬼の首を取ったように、民主党政権が震災の対応に失敗した。と言いました。そして、今でも言い続けています。
では、あのとき自民党政権だったら、あの難局を見事に綺麗に乗り切ったでしょうか。ボクは、そうは思いません。自民党も失敗したと思います。ただ、偶然にも、あのとき自民党が政権与党ではなかったので、当時の民主党を批判できるのです。
自民党が成熟した政党であるならば、菅(かん)政権が失敗したときに、直ちに対案を掲げ、こうすれば良い方向へ進む。と提案すべきでした。
(ボク自身は、自民党やマスコミが言うほどには、かん総理が失敗したとは思っていません。結構よくやったと評価しています。それはさておき)
あれだけの国難ですから、政党の壁を越え、一致団結して事に当たるべきでした。
しかし、自民党は、即時即応で対応策を提示しませんでした。
それは、自民党も正解を持っていなかったからです。対応策を出したくても、出せなかったのです。
それを棚に上げて、たまたま政権与党だった民主党を非難するのは、成熟した大人の政党のすることではありません。
(ちなみに、原発については、民主党も賛成の立場でしたが、積極的に原発を推進してきたのは自民党政権です。フクイチが(設計不備の状態で)建設されたのも、自民党政権時代です。それを棚に上げて・・・怒)
さて、前置きが長くなりましたが、
2012-01-28 付けで、ガースーが自身のブログを書いています。アメブロです。
最初の5行を引用してみましょう。(ガースーのブログでは5行だけど、ボクのブログでは4行になっちゃうね)
今週、東日本大震災に対応するために立ち上げた多くの会議で議事録が作られていないというずさんな実態が、次々と明らかになりました。
歴史的な危機に対処していることへの民主党の意識の薄さ、国家運営への責任感のなさが如実に現れています。
これ以降も続きますが、議事録を作らないなんて、とんでもない無責任な政府だ。と当時の民主党を論難しています。
他方、最近話題になっているのは、ガースーが、2012年(ブログと同じ年だね)に出版した「政治家の覚悟」という本が改訂され、「新総理の原点」という帯を付けて、再出版されました。
この2冊、改訂したのだから、内容が多少なりとも修正されています。
ヤフーニュースに転載された「AMEBA TIMES」配信の追記によると
一部報道で単行本から削除されたと指摘されているのは
「千年に一度という大災害に対して政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。」
という民主党を批判した既述だそうです。
改訂に際して、わざわざこの特定箇所を削除したのには、なんらかの意図があったはずです。意図がなければ、削らず、そのまま新版にも載せれば良いのですから。
念のため確認しておきますが、旧本と改訂本で変わったのは、この部分だけではありません。相当量の削除が行われています。ただ、ここだけが目立つのです。
同じ「AMEBA TIMES」の追記によると、発行元の文春新書編集部は、新刊本には、新総理としてのインタビュー4本(56ページ)を加えたため、バランスを考えて、編集部の判断で、当該部分を含む34ページを割愛した。と説明しているようです。
しかし、民主主義の根幹をなす「記録を残すことの重要性」の部分を、著者であるガースーの了解なしに、編集部の独断で削除できるものでしょうか?皆さんは、どう思われますか?
話は、少し戻って2017年。
これは、20日 11時15分配信のTBS NEWS「菅首相の本、「あらゆる記録を残すの当然」記述を削除」という記事から引用
2017年8月、ある記者が、当時官房長官だったガースーにこう質問しました。
「ある政治家が『政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料で、その作成を怠ったことは国民への背信行為だ』、そういうことをおっしゃられている政治家がいるんですけれども、その発言を記されていたのはどなたか、官房長官ご存じですか」
ガースーの回答「知りません」
2017年といえば、加計学園問題が賑やかだったころ。
「記録がない」というのが、アベ内閣、自民党政権の恰好の、そして、最後の避難場所でした。
ガースーは、2012年に「あらゆる記録を残すの当然」と著作本とブログに書いたことを覚えていたのか、忘れていたのか。真相は闇の中ですが、「知りません」とスットボケタわけですね。
もしかしたら、覚えていて、痛恨!と思っていたのかも知れません。
そこに、今回の改訂版での削除事件です。
勘ぐりたくなるではありませんか。いや。疑うでしょう。普通なら。
改訂本では削除した「その部分」ですが、ブログでも、ほぼ同じ内容を書いています。
そして、ブログの方は削除されていません。
ブログに書いたことは、忘れているのでしょうか。
気が付いて、消されてしまうかも知れません。
それでは残念なので魚拓を取りました。
文字も全部コピました。
それでは、以下をご覧遊ばせ。
歴史的な危機に対処していることへの民主党の意識の薄さ、国家運営への責任感のなさが如実に現れています。
公文書の作成は、政党の主義主張とは全く関係のない、国家運営の基本です。
公文書管理法では、記録を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」とし、意思決定に至る過程の文書を作成することを義務付けています。
1000年に一度という大災害に対して、政府がどう考え、いかに対処したかを検証し、そこから教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録はその最も基本となる資料です。
それを作成していなかったのは明らかな法律違反であるとともに、国民への背信行為です。
人類が原発事故を二度と起こさないために、事故が起こった原因、被害の拡大を防げなかった理由を徹底的に究明することは、国民や世界に対し、国が果たすべき重要な責務です。
しかし、福島第一原発の事故に対処した原子力災害対策本部でも議事録は残されていませんでした。
これでは国会の事故調査委員会の検証にも支障が出るのは避けられません。
議事録のないことは昨年5月の時点で問題になって、当時の枝野官房長官は改善を約束し、野田総理もこのことを十分認識している立場にあるにもかかわらず、
その後も作成されずに、23回にわたる昨年末までの原子力災害対策本部の議事録は一切残されていません。
これでは、民主党政権のが自らの失敗を隠そうとしたと疑われるのは当然です。
総務大臣を務めた私の経験からしても、官僚は法令順守意識が高く、政治家に聞きもせずにこのように基本的な事柄を放置するとは到底考えられません。
事実、震災から1ヶ月後の4月の時点で、全省庁の官僚のトップである官房副長官が、文書の作成と保存の徹底を指示しています。
民主党は野党時代に政府の文書管理の不備を責め、情報公開を声高に叫んでいました。
しかし政権交代後、政治主導の象徴とした政務三役会議など、政策決定過程の多くは非公開で議事録も作成されず、「密室政治」となっています。
議事録作成という基本的な義務も果たさず、「誤った政治主導」をふりかざして恣意的に国家を運営する民主党には、政権を担う資格がないのは明らかです。
国会の審議で厳しく質してまいります。