#弁護士は不足している。 #弁護士は飽和して稼げない。

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菊池裕太郎

某早川元自民党議員が、役職中は立候補しません。と約束したのに反故にして立候補し、その穴埋めを買って出た気概は、尊敬に値する。


しかし、人生のバランスシートにやりがいを掲げるのは、いかがなものか。
確かに弁護士の仕事には、基本的人権の擁護と社会正義の実現という立派なお題目がある。それには一定の価値があるだろう。
人生のバランスシートに付け加えるのも、ひとつの考え方である。


だが、裕太郎の理論には、じゃあ、普通のサラリーマンの仕事には、やりがいがないのか。彼らの人生のバランスシートにも付け加えないと比較不能ではないか。弁護士は特別だ。という優越理論が、見え隠れする。

 

 

弁護士は必要とされている。都会でも、地方でも、法秩序を守る機能が期待されている。
ただ、その仕事は金にならない(場合がほとんどだ)。
他方、弁護士とて、金を稼がないと食っていけない。
苦労するのだから、一般的なサラリーマン以上の収入を求める、期待する。
(事務所経費が無視される傾向にある。という別問題もある)

 

 

この矛盾は、どこで産まれたか。
ニワトリと卵かもしれないが、
昔の弁護士は、そこそこ儲かった。
だから、儲からない社会正義の実現に力を注いでも、喰っていけた。
弁護士側は、儲からないけど社会の役に立つ仕事をして自己満足をしていた。
弁護士法1条を実現していると、悦に入っていた。


他方、国家、地方自治体、社会全体が、そんな弁護士に甘えて、社会正義の実現は、ただで手に入る。
儲かる弁護士が、身銭を切ってやってくれる。

と安心してしまった。


自分たちの責任ではない。協力もしないし、金も出さない。
だって弁護士がやってくれるモン。

 

 

どこかで、区切りを付けなければならない。

 
弁護士の中には、弁護士の矜持として、身銭を切ってでも社会奉仕すべきだ。という人もいる。
逆に、弁護士だって人間だ。労働者だ。仕事をするなら対価で報われなければならない。対価がない、あるいは劣悪なら、やらない。という人もいる。
両極端を挙げたが、弁護士だって一枚岩ではない。だから、問題は複雑になり、解決は、永遠に後回しにされてきたのが現在である。

 

 言いっ放しで、ゴメンナサイ。