#司法試験合格者 人数のひずみ

5年前の今日、FBにアップしたものです。

歴史を残すために、ブログに転載。

多少、ブラッシュアップしました。

 

<司法試験合格者人数のひずみ>
 
ボクが大学生になったころ、司法試験は年1回で(今でもそうだけど。司法試験法上は、年1回以上となっている)、1年の合格者は約500人と相場が決まっていた。
後述するように500人時代は1961年に始まり、ボクの大学入学が1980年だから、20年間不動だった。500人が当たり前と思っていた。
資格試験なんだから、一定の学力が備わっていれば合格する。そこに達していなければ不合格だ。それが理屈だ。結果として、その年の受験生のできが良ければ、600人700人、できが悪ければ、400人300人でもよいはずだ。否、それが道理だ。しかし、約500人と決まっていた。
他方、たとえば、大学の入学試験は、大学の経営とキャパによって、人数制限という考え方が妥当する。我が母校W大学法学部の場合、1学年1500人が目安だ。大学経営上も、教育キャパからも、丁度良かったのだろう。(実際には、もっと多くが合格する。しかし、東大にも合格した。あるいは、同じ大学だが政経学部にも合格した。そういう人が入学を辞退する。その目減を勘案して、多めに合格させ、辞退後の人数が1500人になるのが正解だ。ところが、ボクの学年は1800人いた。大学側の計算(予測)ミスだ。合格最低点には300人がいると言われていたから、大学が1点間違えた。ということだろう。ただ、300人の誤差を吸収できてしまうとことが、マンモス大学の余裕だ)
しかし、資格試験では、そうは行かないはずだ。
ただ、司法試験は、司法研修所への入学試験という実態もある。司法試験に合格したが司法研修所入所をしない人は、年に数人だけだ。ほぼ誤差は発生しない。
教室の数、教員の数、実務修習の受入れ体制。
そして、当時は給費制だったので、修習生に対する給費予算枠の制限。これらから、約500人が限界だったのだろう。上限は理解した。
でも、できが悪かったら、300人400人でも下限に制限はないのでは?合格者数を減らすと、司法研修所の入所人数も減る。必然的に予算が余る。役所の悪い慣行で、余った予算は翌年削られる可能性が高い。だから、役所は、年度末が近づくと、必要性のない(低い)ことに無駄金をつぎ込んで予算を使い切るのだ。翌年の予算を同レベルに保つために。司法修習予算も同じ理屈で削られる危険性がある。そうすると、来年から500人を合格させることが出来なくなり、じり貧となる。下限もあることが理解された。
 
 
さて、実際の合格者数を見てみよう。
FBに当行当時は平成で書いていたが、令和になったので、西暦に書き直す。
 
 
司法試験合格者人数は、
1960(15期?)以前は、合格者が400人以下だった。
ぼくが出生した1961年に革命的に人数が増え、499人が合格し、いわゆる500人時代となった。
この500人時代は、1990年45期まで30年間続く。
30年も続くと、既定路線、固定数字と考えられ、これが変動するなんて、だれも考えていなかった。
 
ところが
1991年46期に600人時代に。
30年続いた固定数字も、一度変わると、固定では無かったんだ。と土台が崩れ、どんどん変更されていく。
1993年48期に700人時代に。
(この年は、四捨五入すると800人なのだが)
1998年53期に実数800人を超え
1999年54期に1000人時代を迎える。
2002年57期に1200人時代。
2004年59期に1500人時代となる。
この歴史の中、平成6年(700人時代)に、研修所が和光に移転する。
和光移転計画は、合格者人数=修習生単年人数=700人を念頭に置いて作られた計画である。
当時、法曹三者は、司法試験合格者の適正人数について協議していたわけだが、その協議を無視して、突然、最高裁(天)から言い渡された確定判決であった(当然、反発があった)。
和光計画にとっては、1500人2000人あるいは3000人への増員は、まったく寝耳に水であって、ビックリポンな事態である。
若い人たちは、こういう歴史を踏まえておく必要があると思ふ。