#法テラス は、悪なのか?
先日、法テラスをこき下ろすブログを書いた。
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ブログ主は、この法テラス設立に法案作成という形で関与した経験から、こき下ろしたわけだが
要するに、法テラスが出来上がっていく過程をつぶさに見てきた。
法テラスは「有史以前から存在していたもの」ではなく、主の目の前で出来上がったのである。
主と同世代(やや幅広く)の弁護士にとっては、新しい時代に出現した巨人なのだ。
他方
比較的新しい弁護士
現在の司法修習生
現在の法科大学院生
彼らにとっては、法テラスは「プレヒストリックに存在していたもの」である。
あって当たり前のもの。
電気、ガス、水道みたいに考えてみて頂きたい。
江戸時代には、電気も、ガスも、水道もなかった。
さぞ、不便な生活だったろう。
ただ、それは後世の人がそう評価しているだけで、江戸時代の人は、当たり前と考えていたはずだ。
江戸時代から現代までの期間を生きた人たちは、電気、ガス、水道ができる度に、生活が便利になったことを実感しただろう。ありがたいことだ、と思っただろう。
他方、電気、ガス、水道がある世の中に生まれた世代は、その真のありがたさが分からない。当たり前だと思う。
さらには、電気料が高いとか、停電するとか、発電が環境に負荷をかけているとか、恩恵を受けていることを横に置いて(無視して、忘れて・・・)クレームを言い始める。
主は何を言っているのか?
電気、ガス、水道と法テラスが関係ないだろう?
いやいや、失礼した。
これからは、法テラスがなかった時代を江戸時代としてみよう。そして、法テラスがある時代が令和だ。
令和に生きる多くの弁護士が、法テラスに悪感情を持っている。文句を言っている。
法テラスと契約しない、契約を解除した弁護士も多い。
では、問いたい。
江戸時代に逆戻りしてもいいものなのか?
今日は、法テラスの各種業務の中、
民事扶助事業に光を照らしてみよう。
民事扶助事業とは、民事上の紛争に巻き込まれた当事者が、弁護士を依頼したいけど、弁護士報酬を支払うお金がない。そんな人に、弁護士費用を貸し付けて、裁判を依頼できるように援助する。
裁判に勝ったら、相手方から取り立てたお金で、貸し付けたお金を返して貰う。裁判に負けてしまったら、相手方からお金は取り立てられない。もちろん分割で返して貰うシステムなのだが、もともとが貧乏人なので、返済されない場合も多い。
だから、援助する事件と人を、よくよく調査する必要がある。
江戸時代には、水道はなかったが、井戸があった。それで、生活は可能だった。
江戸時代に法テラスはなかったが、財団法人法律扶助協会があった。民事扶助事業を行ってきた。
法律扶助協会は日弁連や各地の単位会とは別人格の別法人である。
別法人ではあるが、予算が乏しかった。
そのため、東京の本社も弁護士会の建物に事務所を構えていたし(間借り)、各地方の弁護士会館の一室を(ロハで?)間借りしたりしていた。
弁護士会館が17階建ての新しい建物になってからは、14階に間借りしていたが、新会館が建つ以前は、旧日弁連会館に間借りしていた(んだったかな)
職員も弁護士会が雇用していたり、弁護士会職員が兼務したりしていた(なにしろ弁護士会館内にあるから兼務可能)。
これは、前の「こき下ろし記事」でも指摘した事実だ。
法律扶助協会は、その活動は、弁護士会の場所的、人的協力、弁護士からの寄付などに依存していた、と言って良い。形式上は別法人だが、弁護士会の支配下にあった。弁護士会が牛耳っていた。役員も弁護士が就任していた。
だから、利用する弁護士から、法テラスのような徹底的な批判を受けることもなく、仲良く連携していた。
「こき下ろし記事」では、法律扶助協会は国から補助金を受けていなかった。と書いたが、記憶違いだったか。。。
民事扶助事業は、その性質上、弁護士会が主体となって実施するのが合理的である。
では、なぜわざわざ別法人を作り、法律扶助協会が民事扶助事業を行っていたのか。
それは、弁護士会の独立を守るためである。
公金から補助金を受けると、その使い道について国の監査が入る。
弁護士会が民事扶助事業を行い、そこの公金からの補助金が入ると、その使い道について国の監査が入る。
金に名前(出所)は書いてないから、補助金だけでなく、弁護士会の会計全体が監査される危険性もある。弁護士会の独立の危機にもなりかねない。
だから弁護士会から切り離した別法人である法律扶助協会を日弁連が設立し、法律扶助協会に扶助事業を委ね、補助金の受け皿としたのである。
法律扶助協会に監査が入っても、本丸である弁護士会の監査までは行えない。先人の知恵と言えよう。
主は、修習生時代に2~3回、法律扶助協会の審査委員会に同席させて貰ったことがある。修習指導弁護士が、担当委員だったからである。
委員会は、5~6人位の弁護士が集まり、対象事件の勝訴の可能性、扶助の必要性(依頼者の経済状況)などを議論していた。
報酬などでないボランティアであったと思うが、皆、自分が依頼を受けた事件と同じように、真剣に事件に向き合っていた。修習生ながら感服したものである。
他方、こんな会議に5人も6人もの(高給取りの?)弁護士が集まるのはムダではないか。と思ったことも事実である。ただ、慎重に判断することは、悪いことではない。
なにしろ、予算が少ない。有効に活用するためには、扶助する事件も厳選しなければならないのだ。
ということで、法律扶助協会の元で、扶助を受けるにはかなりハードルが高かった。言い方を変えると、扶助事件の事件数は多くなかった。予算が少ないからだ。
主も法律扶助協会を使って、事件の依頼を受けたことがある。但し、ほんの数件だ。
一番印象に残っているのは、スナックにマスター(料理人)として雇用されていた中国人が、突然解雇された。という労働事件だ。復職を希望していた。勤務実態がなくなると復職が難しくなるので、スナックに勤務するよう指導した。しかし、スナックに出勤しても経営者が給料を払ってくれないので生活できなくなり、スナックを本格的に辞めて、深夜の土木工事に従事するようになった。毎日、スコップやツルハシを振るって居たのだろう。打ち合わせをする度に、マッチョになっていったのが印象的だった。
横道に入ってしまった。元に戻ろう。
つまり、法律扶助協会を利用する案件は、ほんの一握りに過ぎなかった。ということを言いたかったのだ。
法律扶助協会の定める弁護士報酬は、昔存在した日弁連弁護士報酬基本基準規程に比較すると、若干安かったが、仕事をすれば利益はでたし、一人の弁護士が利用する件数が少なかったので、営業全体の足を引っ張るようなことはなかった。
だから、弁護士と法律扶助協会は、仲良く付き合うことができたのだろう。
しかしながら、当時は、予算不足により組織も小さく、法律扶助を受けられる対象者、事件は、ごく少数に限られていた。
法律扶助を受ける条件としての「勝訴の見込み」も、かなり厳しく審査された。
法の光に照らされる国民が少なかった。と言い換えても良いだろう。
実は、法テラスを設立する際、法律扶助協会は解散した。法律扶助協会は財団法人であり、国の機関ではないが、純然たる民間法人ではなかった。公金の補助金が入っていたからだ。
そして、法律扶助協会と法テラスは、同じ民事扶助業務を実施することを目的とする同種の組織である。2つを同時に存在させておく意味がない。
また、国の方針として、新しい組織を一つ作るときには、現存する組織を一つ廃止しなければならない、というルールがある。これを「スクラップ&ビルド」という。このルールがないと、無限定に組織が増殖し、公務員の人数も、予算も、歯止めがきかなくなる。
弁護士会には、この視点がなく、どんどん委員会を増やして、巨大化している。だれか、釘を刺してくれないか。法テラス設立の際に国との交渉窓口であった[G]なんか、「スクラップ&ビルド」を熟知しているはずなので、適任じゃないのかな。
法テラスを設立するには「スクラップ&ビルド」のルールにより、何か一つ組織を廃止しなければならないのだが、趣旨・目的を同じくする法律扶助協会が、ジャストミートなターゲットになったのだ。
純粋民間法人を廃止しても「スクラップ&ビルド」にはならないが、公金が入っている法人なので、ギリ、対象になったのである。
そして、法律扶助協会は解散し、同協会が扶助していた案件は、法テラスが引き継いだ。
法テラスは、法律扶助協会に比較して格段に大きな組織だ。民事扶助以外の業務を行うこともあるが、民事扶助事業だけでも、かなり巨大になった。なにしろ国が予算を付けるのだから。
そうなると、扶助する案件を増やすことができる。
ということは、扶助の条件・審査も甘くなる。「勝訴の見込み」も、厳格なものから「可能性」程度で認められるようになる。
法律扶助協会のときには、さほど力を入れていなかった法律相談業務も、法テラスは強力に推し進め、相談者を依頼者に取り込む努力をする。法の光が照らす国民の人数も増え、案件数も膨らむ。
それを担当する弁護士にとっては、全体の業務に占める法テラス案件の割合が大きくなるのは当然の結果と言えよう。
弁護士にとっては大変かも知れないが、国民からしてみれば、有り難いことだ。
紛争に巻き込まれたが弁護士に依頼する方法が分からない。依頼する金がない。自分を助ける法律があったところで、使えない。今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃあございませんか。
というところに、天岩戸が開いて、法テラスの光が差し込んできた。弁護士の援助を受け、法律を使って紛争から抜け出すことが可能になった。嬉しい。
国民が喜んでくれたとなれば、国の政策としては成功と言って良いのではないか。法テラスって、なんて素晴らしいんだ。法案作成に携わった役人(ブログ主を含む)は、感謝の対象だ。
法テラスは、決して「ショッカー」や「死ね死ね団」のような極悪非道な組織ではない。
でも、国民の全員が喜んでいるわけではない。
喜んでいないのは、法テラスから法の光を国民に届ける「使徒」となった弁護士である。
今まで弁護士に依頼できなかった人を金銭的に援助して、弁護士につなげる。弁護士界全体としては、新分野開拓で全体の業務量は増大したはずだ。弁護士は喜んで良いのではないか。
しかし、現状は逆である。
その最たる原因は報酬が安いことにある。
また、審査基準が甘くなったため、こんなことまで事件化するのか。という種類の案件や、勝訴の見込みがほとんどなく苦労ばかりの事件が、多く含まれることになる。
苦労して、報酬が安かったら、弁護士が嫌がるのはもっともなことだ。
法テラスの構想を担った担当者としては、法テラスの報酬は、法律扶助協会に準じる金額とする紳士協定があった。
法律扶助協会の報酬は決して高くはないが、営業として成り立つレベルだった。それに準じるならば、悪い話ではない。
ところが、実際にお金を握っている財務省と法務省は、紳士協定を守るような紳士ではなかった。
実際に出来上がった報酬基準は、法律扶助協会基準を大幅に下回ることになった。
弁護士、弁護士会は、だまし討ちを食らったのだ。
さらに問題なのは、法テラスの立ち位置だ。
法テラス、依頼者、弁護士は、三者契約を結ぶ。
❶弁護士は、依頼者のために、法律サービスを提供する。
❷法テラスは、依頼者に代わって、弁護士に弁護士報酬を支払う。
❸依頼者は、法テラスに分割で、弁護士報酬の立替金を返済する。
❶❷❸は対等な契約関係にある。
中間に位置する法テラスは、資金を貸し付けるだけの存在で、弁護士の味方でもなく、依頼者の味方でもなく、中立な立場のはずだ。(法律扶助協会は、日弁連が設立し、弁護士会の手のひらの上にある弁護士の味方の組織であった)
ところが「依頼者(貧困者)の援助をする」という設立目的を逸脱して、あらゆる場面で依頼者の味方をする。
契約関係において、一方の味方をすると、他方と敵対することになる。
たとえば、弁護士報酬の金額について、依頼者は高いと言い、弁護士は安すぎると言った場合、法テラスは「依頼者は貧困者なのだから守らなければならない」という乱暴な正義感(緻密な思考を捨てて)に駆られて、依頼者の言い分を支持する。
損をするのは弁護士だが、法テラスは、我関せずだ。
(厳密に言うと、高い弁護士報酬を弁護士に払うと、依頼者からの回収に失敗したときに法テラスに損失がでるのを回避している側面もある)
法テラスは何を間違えているのか。
法テラスが、弁護士費用を立て替えて、分割返済で良いですよ。と手を差し伸べただけで、依頼者の援助をしているのである。また、生活保護受給者などの場合には、返済免除をする。
さらに、報酬基準は、極めて低廉に押さえられている。これも援助だ。
そして、それが法テラスの業務の全てと言って良い。
それ以外の場面では、依頼者と弁護士に公平であるべきなのに、依頼者に肩入れするのは、過度な援助なのだ。
しかし、法テラスは、援助の美名と、その使命を果たしている満足感に酔いしれて、依頼者を過度に優遇し悦に入っているのである。
この勘違いをただす必要がある。
江戸時代に戻って良いのか?
これに対する回答は、多くの国民に便益を与えているのだから、江戸時代に戻るのは間違えている。江戸時代に戻らず、法テラスが、依頼者と弁護士を平等に扱う。それを認める財務省と法務省になることが、求められるのだ。
法テラスを電力会社に置き換えてみよう。
電力会社を廃止し、電気のない江戸時代に逆戻りすることは、もはや不可能だ。
電力会社の性格を変え、原子力、火力に依存する体質から、SDGsな風力、太陽光、地熱などを活用する会社に変えていく。
それと同じように、法テラスを廃止することは、もはやできない。江戸時代には戻れない。法テラスにメスを入れて改革する方向性が求められる。
この度、日弁連会長に就任する弁護士は、法テラスに顔が利くらしい。是非、法テラスの勘違いにビンタを浴びせて、覚醒させ、正しい法テラスに導いてほしい。
法テラスを、正しく法の光で照らそう。
法テラス案件を扱う弁護士に、正しく法の光を当てて、法テラス案件でも事務所経営が可能な報酬体系を作って貰おうではないか。