#神道政治連盟「#同性愛は依存症」冊子配布

信教の自由との境界問題ですね。
 
 
 
リンク先が切れてしまう場合に備えて、要約を掲げておく。

神道政治連盟が主催する講演会に、弘前学院大学・楊尚眞教授を呼び、「LGBT」について講演を行った。

神道政治連盟国会議員懇談会」の会合で配布された冊子に、その講演録を掲載した。


事実としては、これだけのことだ。
この事実に含まれている問題は、2点。


第1。楊教授はキリスト教徒であること。


なぜ、神道政治連盟の講演会にキリスト教徒を呼んだのか。

さらに、講義録を冊子に掲載したのか。

この点、神道政治連盟は、キリスト教徒を呼んだのでは無く研究者を呼んだのだ。との見解。
 
第2。講義内容は「LGBTは依存症」などと、LGBTに対する無理解(批判的内容)に満ちていた。
その議事録を、あえて冊子に掲載したことの是非。
 
神道政治連盟は、掲載理由について明確な回答をしていない。
 
 
 
 
 
以下は、ブログ主の感想。
 
たとえば、キリスト教徒から見ると、イスラム教では「女性軽視・蔑視」している。しかし、イスラム教徒には、それが「自然・当然なこと」なのだ。
 
キリスト教徒が「それは間違えている」と指摘しても、一般的なイスラム教徒には通用しないだろうイスラム教を一括りにすることに疑問もあるが、ここではご容赦を)
 
イスラム教徒の女性から「女性解放運動」があり、一定の成果を上げていることも知っている。
しかし、頭の天辺(テッペン)からつま先のツメまでイスラム教で出来ている「ガチムチのイスラム教オヤジ」には、全く理解できないであろう。それを否定することが出来るのか?
 
件(くだん)のイスラム教徒の研究者講師が、「LGBTは病気なのだ」という宗教的信念を持っているときに、それを否定することが出来るのか?憲法が保障する信教の自由を侵すことにならないか?難しい問題だ。
 
 
ただ、今回の問題は、ワンクッションある。
 
神道の集団がキリスト教の講師を呼んだ。
宗教者としてではなく、研究者として講師に呼んだ。
 
LGBTの」研究者であれば、特定の宗教の教義にとらわれず、客観的に研究し発表すべきだ。
彼が「キリスト教におけるLGBT」を研究しているなら、そう名乗るべきだし、神道団体が招聘すべきでは無い。