法テラスと日弁連会長選挙
法テラス
という組織がある。
正式には、日本司法支援センターという。
総合法律支援法に基づいて設立された独立行政法人に準じた法人だ。
って、意味分かんねえぞ。
その法テラスって何?
と思った読者も多いであろう。簡単に(でもないが)説明しよう。
主な業務は
❶法律問題の解決窓口の紹介(情報提供業務という)
❷法律相談の実施
❸弁護士を依頼するときの弁護士費用の貸し付け(民事扶助業務という)
❹国選弁護人の候補者を裁判所に推薦し、報酬を支払う(国選業務と呼ぼう)。
などである。
日本国には、憲法を頂点とした沢山の法律法令がある。
国民を制約するもの。
国民生活を援助するもの。
国民同士の争いを解決するもの。様々だ。
しかし、
国民が法律等を知らなかったら。
知っていても使い方が分からなかったら。
使い方を知っていても、下手くそだったら。
全てが絵に描いた餅になる。
全国民が法律の恩恵を受けられるように、全国民を法の光で照らすことを目的として設立されたのが、法テラスである。(なんだ、駄洒落じゃねえか。そうだよ。ちなみに公募で決まった)
根拠法令となる総合法律支援法を、構想し、条文を作成し、国会で法律にする。
ブログ主は、当時、法務省に任期付き公務員として採用された法務事務官(他の役職も兼務)として、この法律の成立に関与した。主に「構想」の分野だ。・・・・
少し、話が横道に迷い込むが、しばしの間、お付き合い願いたい。
この法テラス。国民に法の光を届ける役割の多くは弁護士が担当する。国民に法の光を届けるための弁護士報酬は法テラスが支払うことになる。
法テラスは、独立行政法人に準じた法人と書いた。
所管官庁は法務省である。
つまり、財務省から法務省を経由して法テラスに渡ったお金を、法テラスが弁護士に報酬として払う。
報酬の財源を財務省と法務省に押さえられてしまうことで、弁護士活動の自由が奪われるのではないか。
抽象的で分からないかな。
国に逆らうような弁護士には報酬を払わないぞ。
弁護士が依頼者(国民)のために必要だと思って行った業務だが、財務省・法務省の価値観から見て不必要だ、ムダだ。と評価されたら、報酬は支払わない。
弁護士が、この事件のこの部分には特別に労力を使ったから沢山報酬をくれ、と言っても、例外は認めない。
などだ。
それでは、弁護士が報酬を気にしてベストな弁護活動ができない。
そういう懸念が弁護士界全般に蔓延した(弁護士会じゃなくて、界ね)。
主は、法律を構想する側の役人だから、中立公正でなければならないのだが、同様の危惧を抱いていた。
それで、現状はどうなのか。って気になる?
気になるよね?
気にしてよ!!
弁護士からは
❶全体的に報酬が安すぎる。場合によっては、マックのバイト以下。
❷弁護士が頑張っても報酬に反映されない。頑張るほど馬鹿を見る。
❸支払までの手続きが多すぎる。
などなど、三日三晩語っても足りないくらいの不平不満が出ている。
ゆえに「法テラスの仕事を一切しない」という弁護士が続出、日々増加している。
とはいえ、報酬を握られているからといって、弁護活動の手を抜く弁護士は、全くいない。とは言い切れないが、ごく少数である。
弁護士活動の自由は、弁護士が我慢することにより維持されている。と言っても良いだろう。
要約すると、蔓延していた危惧は正しかった。制度としては、不完全、失敗作となった。しかし、弁護士各人の努力によって、弁護の自由は侵害されずに守られている。
さて、横道から、元の話に戻ろう。
主が、公務員の立場からも憂慮していたところから始めよう。
では、危機感を持っていた弁護士たちの総本山=日弁連は、どうしていたか?
当時、日弁連で法テラス対策の中核を担っていたのがK林G治弁護士だ(以下「G」という)。役職としてはトップではなかったが、発言力が強く、事実上仕切っていたと言って良いだろう。
Gは、日本全国の弁護士が感じていた危機感に、まったく鈍感であった。知識としては頭にあったのだが、皮膚感覚としては理解していなかった。
ちょっと歴史の時間。
法テラスができる前、法テラス主要業務の❷❸(民事扶助業務)は、財団法人法律扶助協会が担ってきた。
扶助協会に国の補助金はなく(確か、なかったと思う)、弁護士や篤志家からの寄付などによって運営されていた。財源が限定されているので、法の光が照らされる国民は、少数に限定されていた。
職員も、弁護士会が雇ったり、弁護士会職員が兼務していたりした。
独立した事務所がなく、弁護士会館の一室を使うのが普通だった。
扶助協会の支部がない県すらあった(はずだ)。
そんなところに、国が予算を付けて、全都道府県に支部を作り、独立した事務所を開設し、国の予算で職員を雇用してくれる。法の光を照らす弁護士の報酬は、依頼者への貸し付けという方式は従来通りだが、お金は国が用意してくれる。
こんな「おいしい話」はない。
全国の弁護士が危惧していてようとも、この構想を潰してはならない。否、法務省に積極的に関わって、より大きなものにしていくべきだ。
これがGの基本思想だ(と主は思っている)。
主は、この法制度を作った張本人(担当公務員)だから、Gと同じ思想を持っていると誤解され、多くの弁護士から嫌われ、軽蔑された時期があった。
主は、総合法律支援法が国会で法律として成立した後、公務員を辞し弁護士に戻り、日弁連で法テラス関係の委員会に所属した。上司がGだ。
主は、全国の弁護士が持っている危惧感こそ正しいと信じ、何度もGと対立した。喧々囂々、侃々諤々の議論を交わしたことも数知れない。しかし、Gは自説を曲げることなく、主の主張をことごとく退けた。
そのように主が、Gとは反対の立場であり、全国の弁護士のために闘っている。という事実の積み重ねにより、主に対する誤解は氷解し、主の存在を積極的に認める弁護士が増加していった。
Gが法務省にすり寄った結果が、横道で確認したように、弁護士の法テラス離れ現象である。法テラスは、弁護士に有益な存在ではなく、苦役を強いる存在に堕してしまった。
それでも、弁護士の自由を守っているのは、苦役を強いられても我慢して頑張っている個々の弁護士の正義感である。
さてさて、話は大きく転換する。
先日、2年に1度の日弁連会長選挙があった。
会長に当選したのは、小林元治という弁護士だ。
正式には「もとじ」と読むのだが、誰もが「がんじ」と呼ぶ。
主は、かなり以前に日弁連の仕事から離れてしまったが、だれが新会長のクビに鈴を付けるのか。
いさめる人が居るのか。
新会長はその言葉に耳を貸すのか?
これから2年間の日弁連は、暗黒の時代かもしれない。
例えば、僕が日弁連で刑事弁護の仕事をしていたときに新会長に就任した大阪の宮崎氏は、「きのした君。僕は刑事弁護の最先端の議論はよく知らないから、分からないことがあったら君に教えて貰いたいんだ。携帯番号を教えてくれ」と言い、本当に何度も電話をしてきた。
こういう虚心坦懐な人格者にこそ、総本山会長になってほしいものである。