#石川さゆり さん。お誕生日、おめでとうございます。

石川さゆりの代表曲と言えば、津軽海峡と、もう1曲ですが、石川さゆりの(おそらく)映画デビュー作が、山口百恵伊豆の踊子
 
百恵は、大島出身という設定だったが、石川さゆりは大島時代の幼なじみ役。おそらく同年齢の設定だろう。
百恵は、踊り子をしているが、まだ生娘。三遊亭小円遊がスケベな商人役で処女を買いたいと申し込むが、母親が断る。露天風呂から、真っ裸で、三浦友和に手を振るほど幼い子どもだ。
 
奇しくも、踊り子達が天城越えをしている最中に泊まった宿場町に、石川さゆりがいた。
同い年のはずの石川さゆり
職業は「酌婦」となっているが、その実態は宿場女郎だ。百恵と、あまりにも対照的だ。

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死の床についている石川さゆり
激務が祟って、肺病となり、隔離されて死の床についている(か、可憐だ)。そして、数日後、戸板で運ばれていく。
 
さて、今日は、
石川さゆりの63回目の誕生日
 
ところで、踊り子達は、天城峠伊豆半島を東西に走り、北と南を分断している)を、北から南に超えて下田(伊豆半島の南端)まで行きます。
 
名曲天城越えは、天城峠を逆に、南から北に超える歌だと思うのですが、皆さんは、どう思いますか?

#印鑑 #みずほ銀行 もやっちまった件

みずほ銀行のHPです。

 

キッカケは、こんなことから始まりました。

マンション管理組合の郵便受けに、正体不明の「電気ご使用料のお知らせ」東京電力から送られてきます。

通知は2通来ていて、契約者は「KK自民社東京本部(仮名)」「KK自民社 スガギリツ(仮名)」となっています。

なにが正体不明かというと、住所は確かにうちのマンションに間違いないのですが、契約者名の株式会社自民社が、うちのマンションには存在しない会社なのです。

部屋番号は記載されていませんが「1」とだけ書かれているので「1階」だろうと思います。

1階には、店舗が2つ入っていますので、両方に聞いてみましたが、うちとは関係ない。との回答でした。

正体不明の会社が、うちのマンションに電気を引いて、電気を使用して活動しているのか?

密かに地下に基地を作っているのか?

悪の秘密結社か?

なんだか不気味です。

ネットで、その会社名を検索してみました。同じ名前の会社が鹿児島にありますが、東京本部があるような会社とは思えません。

自民社。自民社。自民社。。。。。会社の名前を念仏のように唱えていると、なんとなく聞いたことがある会社の気がしてきました。

そうだ!

ちのマンション、管理組合が第39期ですから、同じくらいの年齢と歴史があります。

このマンションは、ボクが母のために買ったもので、母が一人で住んでいましたが、6年くらい前から老老介護のため同居を始めました。古い記録を解き明かしたところ、第18期の組合総会に母の名前はありませんが、第20期の組合総会の出席者に名前があります。19期の総会議事録には、出席者名簿は添付されていません。とにかく、母は、そのころから住んでいるわけです。

いやいや、今はそんなことを調べている場合でありません。

自民社という会社は、一体全体、何者なのか?

呼吸を整えて、そこに全集中しましょう。

分かりました。

このマンションができたとき、いわゆるデベロッパーと呼ばれる会社がマンション敷地を購入し、マンションを建築し(建設会社に請負発注)、完成したら、分譲で売却するわけです。

そのデベロッパーが、最初に、息のかかった管理会社を入れて契約するのが、一般的なんですね。

そうして契約したのが、KK自民社だったのです。KK自民社は管理会社だったのです。

ただ、自民社の管理体制に不満があり、5年で解約されてしまい(お払い箱)、以後、自主管理が続いています。自民社が管理していた頃、①「玄関や館内廊下などの電灯、管理室の電気など」、②「エレベーター用の電気」について、東京電力と契約したと思われます。2つの契約名義が「KK社自民東京本部」「KK自民社 スガギリツ」になっていたと想像されます。

34年前?自民社と解約解除して、自主管理に移行したときに、東京電力との契約名義を変更しなかった、そのまま34年、だれも気づかず、なんの問題も発生せず、ダラダラと時が流れたわけです。

ところが、ボクが気づいてしまった(残念!)

これは、契約名義を変更しなければならないだろう。

早速、東京電力に電話しました。

事情を話せば、すぐに変更できるだろうと簡単に考えていたのですが、さにあらず。。。なんか面倒な様子です。

 

30年間、なんの問題も発生しなかったのは、電気料金が引落しになっていて、その口座が、ずーーーと生きていて、残高がなくならなかったからです。

2つの契約で月額合計約5万円、年額にして約60万円。30年も経てば、けっこうな金額です。それだけ引き落とされても、残高がなくならない。

自民社は、ネット検索に引っかかりませんから、過去のある時期に、倒産したのでしょう。または、自主解散したのでしょう。その後も、継続して引落しが可能だった。

自民社には、どんだけ財産があったんだ。そんなに引き落とされて、文句を言ってこなかったのか?

なによりも、倒産または自主解散したときに、口座に大金を置いたままにしておいた、なんて考えられません。

逆に、管理組合として、電気料金を払ってなかったら、決算のときに、だれかが疑問に思うだろう。30年間、だれも気が付かないなんてこと、ありえない。

答えは簡単でした。

引落し口座は、管理組合名義の管理費口座で、毎月、管理費が振り込まれますから、枯渇することはありません。管理費口座から、東京電力が引落しをしますから、会計上も電気料金を正しく払っていることになっている。なにも問題は無い。ただ一つ、東京電力との契約名義が、自民社から当マンション管理組合に変更されていないこと。

 

東京電力に問い合わせの電話したら、いろいろと質疑応答が行われます。

契約者番号は?

一つは、*****-*****ー1-00。もう一つは途中まで同じで、最後がー3-00です。

お調べしますのでお待ち下さい。確認できました。契約名義を確認させて下さい。

「KK自民社東京本部」と「KK自民社 スガギリツ」です。

確認できました。住所は?

和光市***1-2-3※※マンションです。

部屋番号は1ですね。

(実際に部屋番号1の部屋は存在しないが)そうです。

引落し口座はお分かりになりますか?

はい、みずほ銀行成増支店、普通口座で、口座番号が*******、口座名義が※※マンション管理組合です。

少々お待ち下さい。当方が引き落としている口座は、銀行名、支店名、口座番号は、そのとおりなのですが、口座名義が違います。これが違うとお手続きできません。

そうは言っても、今、※※マンション管理組合で通帳があり、その名前で銀行登録されているんですよ。

そうなんだろうと思いますが、それ以上のことは、当方では分かりかねます。

(そりゃそうだ。東京電力に、みずほ銀行の手続を聞いても仕方ない)もう、銀行が閉まっている時間なので、明日、銀行に問い合わせてみます。それからまた電話します。こんな面倒なこと、イチから説明するの嫌なので、あなたのお名前を教えてくれますか。

こちら、コールセンターになっておりまして、指名はできないんです。

そうですか。じゃ、他の人にも分かるように、引継書類を書いて置いてください。お願いします。

 

ということで、明日、みずほ銀行に電話して、尋ねてみることになった。

その前に、基礎知識を得ておこう。

口座番号はそのままで、口座名義を変更する手続は?ということで、冒頭にある みずほ銀行のHP を開いてみました。

結論から言うと、例えば、お父さん名義の口座を、口座番号そのままで、子どもの名義に変更する、というようなことは可能でした。

 

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本論です。

 

Googleで「みずほ銀行 名義変更」を検索してみました。

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グーグル検索結果

そこをクリックすると、次の画面が現れます。

 

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選択画面

でたぞ「印鑑」誤用

しかし、ここでは、氏名変更が目的なので、印鑑に目もくれず、「氏名変更をしたい」を選択してクリックだ。

次の画面はこれ。

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氏名を変更したい画面

でたぞ!印鑑

みずほ銀行で、氏名を変更したい場合には、印鑑を持っていく必要があります。

そして、これは、物理的に無理です。

みなさん、お分かりですね。

印鑑は、皆さまのご自宅の金庫にはなく、市役所、区役所の保管されていて、一般人が持ち出すことは不可能なんです。

 

なんのことか分からない?

そういう人は、ここを参照してください。

blog.hatena.ne.jp

 

ついでなので、銀行取引印を変更したい場合も参照してみました。

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取引印の変更

 

印鑑変更をする手続が載っていました。

しかし、みなさん。

印鑑登録を変更するときには、みずほ銀行に行かないで、区役所、市役所に行って下さいね。 

 

 

 

さてさてさて、問題が発覚したのが昨日、東京電力に電話したのも昨日。昨日は解決しなかったから、明日みずほ銀行に電話して聞いてみよう、という「明日」は、日付が変わって「今日」

今日、みずほ銀行に電話して相談してみました。みずほ銀行としても、まれにみる珍事件で、上司に相談したり、いろいろ頑張って貰いました。

しかし、30年前と言えば、みずほ銀行ではなく、富士銀行の時代。調査しても、当時の記録は出てきませんでした。でも、こんな面倒なことに協力してくれたみずほ銀行に感謝です。印鑑の間違いは許さないけど。

 

これからどうするか、2月の理事会で検討してみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

#阿木燿子 は天才だと言うけれど #さよならの向こう側

山口百恵が余多いるアイドルの中から、スーパーアイドルとなり、伝説と昇華したのは、間違いなく、宇崎竜童&阿木燿子のコンビと出会ったからである。

 

これは、偶然では無く、必然であった。

阿木燿子は、1975年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で実質的な作曲家デビューをする。港のヨーコは大ヒットを飛ばしたが、他にこれと言ったヒット曲は、まだ、作っていなかった。

そんな1976年、山口百恵自身が、阿木燿子を指名し、楽曲の提供を申し込む。

山口百恵が、阿木燿子のどこに惹かれたのか、なぜ目を付けて指名したのか。

当時の阿木燿子の実績からすると、不思議でならない。

山口百恵の感性か?

 

阿木燿子は、夫宇崎竜童のためにロックを作詞することがあっても、アイドルに楽曲を提供することは予想だにしていなかった。

ただ一つ、山口百恵が横須賀出身であること、自身も横浜出身で横須賀にも縁があること(港のヨーコは、横浜から横須賀へ流れていった)に共通点を見いだし、作詞のキッカケを見いだした。

そして産まれたのが「横須賀ストーリー」である。

この曲から、一気に、アイドル山口百恵は、シンガー山口百恵へと脱皮していく。

 

オーディション番組でスカウトされた山口百恵
ホリプロは、当時、森昌子石川さゆり、という2枚の駒を持っていた。

同年代でもう一枚手駒を増やして、ホリプロ3人娘として売り出す構想があった。

山口百恵は、その条件にピッタリだったので、ホリプロがスカウトした。実は20社が名乗りを上げた逸材なのだが、ホリプロを選んだのは結果的には正解であった。

山口百恵を一目見たホリプロ社長の感想は「足の太い娘だなあ」であった。

 

同じオーディション番組で、約半年早くスカウトされたのが桜田淳子である。

地方予選で桜田淳子を見たスタッフは、すぐに目を奪われた。

この娘はイケる。どうか超音痴でありませんように。と願った。と言われている。

ある程度の音痴なら構わない。必ず売れる。そう確信したのだ。

案の定、桜田淳子は決勝大会まで進み、サンミュージックにスカウトされる。

 

それから、遅れること約半年。地方予選で、また、スタッフの目を惹く新人が現れた。

スタッフは思った。ちょっと暗めだけど、第二の淳子が現れた!

山口百恵であった。

そして、ホリプロが、前記の通りスカウトした。

 

ホリプロは、計画通りホリプロ3人娘を売り出そうとしていたが、半年間先行している桜田淳子が、勢いよく飛び出していた。

桜田淳子が、山口百恵森昌子と同じオーディション番組出身であり、同学年でもあることから、マスコミは花の中3トリオと取り上げる。ホリプロ3人娘構想は崩壊した。

 

可愛そうなのは、取り残された石川さゆりである。

白いベレー帽を被って「かくれんぼ」でアイドルデビューするが、中3トリオの陰に隠れて芽が出ない。15才でデビューしたが、鳴かず飛ばず。ようやく日の目を見たのは19才で発売した(ことになっている。正確には18才)津軽海峡冬景色である。

早々に引退した山口百恵は超えがたい存在であるが、石川さゆりは、桜田淳子森昌子を凌ぐ、日本を代表する歌手となった。

 

山口百恵は、天使も夢見る桜田淳子の目映いばかりの明るさに比較して、オーディション番組予選から言われていたように、暗いイメージがある。

その上、桜田淳子と違って、足が太い(笑)。

歌も、お世辞にも上手とは言えない。

3人娘には森昌子という歌の達人がいたから、歌の下手さが目立つ。

 

デビュー曲は「としごろ」

桜田淳子と同じ様な、明るいアイドル路線で、被ってしまった。

レコード売上も、ビックリの7万枚未満である。

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桜田淳子と張り合っても勝てない。

ホリプロは、持って生まれた暗さを、山口百恵の魅力に変えようと路線変更を図る。

早速、セカンドシングルの「青い果実」で変身を果たす。青い性路線の始まりである。

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5枚目シングル「ひと夏の経験」で40万枚超えのスマッシュヒットを放つ。

意外なのは、7枚目の「冬の色」で50万枚を超えて自己記録を更新している。

あなたは「冬の色」歌えますか?

 

これらのアイドル活動の中で、山口百恵三浦友和と出会うことになる。

歌の下手さに呆れたホリプロ社長が、歌手が無理なら役者で。という保険を掛けつつ、演技することが歌に良い結果をもたらすと期待して、積極的にドラマ(赤いシリーズ)や映画(伊豆の踊子など。ちなみに、伊豆の踊子には幼なじみとして石川さゆりが出演している)に取り組ませた。

その成果か、あるいは、宇崎竜童の歌に磨かれたか、山口百恵の歌は格段に成長していく。

(同じようにドラマに積極的にチャレンジした堀ちえみは、演技も歌も上手くならなかった)

 

阿木燿子を指名して最初の曲「横須賀ストーリー」で初めて60万枚を超える。

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ここからの活躍は、皆さん、よーーーくご存知のとおりであるから、省略する。

ベースには、阿木燿子・宇崎竜童コンビの歌があり、節々に、さだまさし秋桜」、谷村新司いい日旅立ち」などを配し、歌に磨きを掛けていく。

 

そして、三浦友和との結婚を機に引退。一切、芸能界から身を引く。

最近では、カードで買物をしてサインすると、店員さんから「あら、有名な人と同姓同名なんですね」と言われるほど、一般人化しているらしい。

 

山口百恵の引退コンサートで最後の曲として歌われたのは、ラストシングルではなく「さよならの向こう側」である。

この曲も阿木燿子である。

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山口百恵を、引退後も光り輝かせ続け、永遠の存在として世に残した曲。

文句の付けようのない名曲である。

 

あなたは、ソラで歌えますか?

♪ 何億光年、輝く星にも、寿命があると、教えてくれたのは、あなたでした。

 

なんと壮大な始まりでしょう。

山口百恵は、アイドルの枠を超えたスターです。

スター誕生から生まれた正真正銘のスターです。

輝く星です。

大スターでも、何億年も現役で歌い続けることはできません。いつかは、引退の日が訪れます。

星の長い一生に比べれば、歌手の現役生活は一瞬みたいなものです。

私は、皆さんが期待するよりも早く引退します。

でも一瞬であることに変わりはありません。

私が現役を退いても、私というスターは、ずーと皆さんの心の中で輝き続けるでしょう。

 

ちょっとまて!

何億光年?

あれ?

何億年なら、ときの長さを表す言葉だけど、

1光年は、一年間で光が進む距離を言う。つまり、距離の単位だ。

時間の単位ではありません。

言葉の魔術師、阿木燿子さん。これは凡ミスですか。

それとも計算ずくの誤用ですか?

 

名曲過ぎて、聞き逃してきた数十年を返してくれ。

 

 

 

#慰安婦判決 #三権分立

韓国の裁判所は悪くない。

 

news.cube-soft.jp

 

こういう判決が出て、韓国の文大統領は困っている。

日本政府も、本当は困っているのだが、困ってない振りをして、韓国政府に責任をなすりつけて、切り抜けようとしている。

 

両国政府間では、請求権が無いことを合意している。

 

日本政府は、すでに国家間で解決している問題だ。そんな裁判、意味がない。韓国国内で勝手に解決してくれ。という態度だ。

文大統領に、なんとかしろよ。と下駄を預けて、後は知らん顔だ。

 

他方、韓国政府も、国家間では既に解決している。という立場だ。

両国間に認識の違いは無い。珍しい現象だ。

 

韓国政府、文大統領としては、こんな判決が出るのは迷惑だ。

でも、出てしまった。

韓国が、一流文明国として、三権分立が確立しているならば、たとえ大統領であっても、裁判結果を覆すことはできない。尊重しなければならない。

日本政府も、文大統領に下駄を預けたのは、韓国の三権分立を否定する暴挙とも考えられる。外交政策として、正しいのか、有効なのか。疑問が残る。

 

さて、なぜ、こんなことになってしまったのか。

それは、両政府、あるいは、両国の国会が無能だったからである。

 

両国間に請求権が無い。

国家間のみならず、民間に対しても請求権が無い。

そのように国家間で合意したならば、国内法もそれに合致するように整備しなければならなかった。

韓国の国内法では、日本国または日本企業、日本人に対して損害賠償請求が可能だとする。

国が、請求権が無いと合意する。(条約?)

そこに矛盾があったら、矛盾を解消しなければならない。

当たり前だのクラッカーだ。

ところが、韓国は、その法整備をしなかった。日本もしてないだろう。

これは、直接的には立法府の責任だが、立法府に立法を促さなかった政府の責任でもある。

韓国の政治システムはよく知らないが、日本で言えば議院内閣制を採用しているから、法律案を提出するのは政府の責任だ。

 

そういう当たり前の実務を実施してこなかったから、今回のような判決が出てしまい、文大統領が苦悩しているのだ。

 

当時、韓国政府に、国内法を整備するよう念押ししなかった日本政府にも責任があるし、今、文大統領に下駄を預けても、三権分立がある以上は文大統領に解決する権限が無いのだから、筋違いな外交交渉を行っていると言って良いと思う。

#マンション管理規約

(議決権)
第46条 各組合員の議決権の割合は、別表第5に掲げるとおりとする。
2 住戸1戸が数人の共有に属する場合、その議決権行使については、これら共有者をあわせて一の組合員とみなす。
3 前項により一の組合員とみなされる者は、議決権を行使する者1名を選任し、その者の氏名をあらかじめ総会開会までに理事長に届け出なければならない。
4 組合員は、書面又は代理人によって議決権を行使することができる。
5 組合員又は代理人は、代理権を証する書面を理事長に提出しなければならない。

おっぱいは誰のためにあるのか? #嘆きのボイン

この問題は、とっくの昔に

月亭可朝師匠により解決した。

はずであった。

 

若い人には、何のことか、分からないかも知れないから、ヲジサンの知恵を授けてあげよう。

1969年12月10日、可朝師匠は、1枚のレコードを発信する。

そのタイトルは嘆きのボイン

 

ちなみに、今では当たり前に使われている「ボイン」という単語だが、これを生み出したのは大橋巨泉である。

昔懐かしい深夜番組「11pm」(いれぶんぴーえむ。と読む)。午後11時から始まる、ちょっとエッチな大人の番組。

現在は午後11時に起きているのは当たり前のようだが、昔の正しい大人は11時には寝ていた。正しくない不真面目な大人と、性に目覚めた青少年が見る番組。それが「11pm」である。

記憶に頼るが、11時ジャストではなく、11:15くらいに始まったのではないか。

当時は、セブンイレブンも、am/pmもなかったから、コンビニを連想する人はいなかった。というより、コンビニがなかった。

その番組に、アシスタントとして出演したのが朝丘雪路。宝塚出身で、おっぱいが大きいグラマラスな女優さんだ。大橋巨泉は「おっぱいが大きい」という直接的な表現を使わずに、ボインちゃん。と可愛らしく呼んだ。

それが定着したのが「ボイン」である。

そんなマイナーな深夜番組から、流行語となり、後年まで定着したのだから、人のおっぱいに対する執着心は凄まじい。

 

さらに横道にズレると、11pmはエッチな番組だ。と書いた。この「エッチ」はもともとは「変態」の頭文字である。ただ、広範囲にわたる変態全般を意味するのでは無く、「性に対する探究心が強い変態」に対してだけ、「エッチ」の称号が与えられた。

小学生の男子が、女子のスカートめくりをすると、女子は「きゃー、エッチ!」と言って逃げ回った。しかし、その男子は変態では無い。小学生男子がスカートめくりをすることは、全く不自然では無い、むしろ必然ですらある。
大人になって、女子更衣室に隠しカメラを設置したり、洗濯物のなかから女性の下着だけを盗むのは、変態である。犯罪ですらある。犯罪で無くても、女性の黄金水を飲むのが好き。とかも変態である。全部「エッチ」である。

ところが、現在では変態の意味は薄れ、「エッチ」は性行為そのものとして使われている。

「エッチ」を変態から性行為の意味に昇華させたのは、明石家さんまである。

 

 

さて、本論である嘆きのボインに話を戻そう。

まずは、本家本元、月亭可朝師匠のレコードを聴いていただこう。

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月亭可朝師匠は、残念ながら、2018年3月28日に、急性肺線維症により他界された(享年80)。

 

その前年(2017)に生で歌った映像が残っていたので、それもご覧いただこう。

www.youtube.com

 

この曲が、いかに名曲か、ということを証明する動画を見つけたので、紹介しておこう。

この歌唱は、もう芸術の域と言って良い。

www.youtube.com

 

May J.は、コインかな?

 

ここで皆さんに訴えたいのは、1969年から、

ボインはぁ〜赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ〜、お父ちゃんのもんとちがうのんやでぇ〜」「これホンマやで~」

という定説は、だれも疑わない絶対的真実とされてきた。ということである。

 

ところが、この定説に、最近の研究から疑問が投げ掛けられている。

NHK「ヒューマニエンス/”体毛”を捨てたサル」という番組からの情報である。

地球上には200種ものサルや類人猿が生息しているが、身体全体が毛に覆われていないのは、ホモサピエンス1種だけなのだと。

なぜ、ホモサピエンス=人類は、毛を捨てたのか。

詳細は省くが、木の上の生活から地面に降りて二足歩行をするようになり、地上で狩りをするには、体毛がない方が有利だったから。というのが、有力な考え方のようである。

 

ところで、狩りをするのはオスの役割である。オスの体毛がなくなるのは理解できた。

しかし、人類のメスも体毛がない。むしろメスの方が体毛が薄いと言って良い。

なぜ、メスも体毛を脱ぎ捨てたのだろうか。

かの有名なダーウィンが言うには、メスがおっぱいを強調し、オスにモテるためためだ。メスがモテるようになると、オスを選びたい放題だから、良い子孫を残すことができる。オスの場合は狩りの利便性だったが、メスはメスなりの理由で、生き残り作戦として毛を断捨離した。これがダーウィンが唱えた性選択説である。

しかし、メスの魅力、とくに、良い子孫を残せる。ということに関しては、大きなお尻(安産型)とか、他の要因もあるだろう。ダーウィンは、おっぱいに重点を置きすぎではないか。ダーウィンおっぱい星人だっただけではないか。

 

だが、悲しいかな、人類のオス=男は、みな、おっぱいが大好きである。おっぱいに興味がないフリをしているのは、ただのムッツリスケベに過ぎない。おっぱい星人なのはダーウィンだけではない。

 

ところで、

人類のメス=女性のおっぱいは、乳腺と脂肪でできていて丸びを帯びた美しい造形をしている。

科学的には、ここが非常に重要だ。繰り返す、重要なのだ。

 

母親の乳で赤ちゃんを育てるほ乳類のおっぱいには、みな乳腺がある。母乳を作る重要な器官だ。授乳期になると、乳腺の他に脂肪も付く(その理由は、良く分からない。NHKも説明していなかった)。

逆に言うと、一般的なほ乳類のおっぱいは、授乳期以外は乳腺しかなく、しなびている。丸みがない。見た目の魅力がない。

ただ一種、人類の女性だけが、授乳期に関わらず、常に、乳腺と脂肪で丸みを帯びて美しいのである。

これは月亭可朝もびっくりの事実である。

おっぱいが、授乳期以外にも、美しい形状を保っているということは、「赤ちゃんのため」では説明が付かない。他の理由がなければならない。おっぱいは、赤ちゃんのため「だけ」にあるのではなく、男性の気を惹き付けるフェロモンの役割を持っているのである。

つまり

「おっぱいは、お父ちゃんのためにある」も、もうひとつの正解なのだ。

 

さあ世の中のお父ちゃん達よ。

気兼ねなく、お母ちゃんのおっぱいを堪能してくれ給え。少子化に歯止めがかかり、日本が再生する日も近い。

 

 

 

 

 

 

#司法試験合格者 人数のひずみ

5年前の今日、FBにアップしたものです。

歴史を残すために、ブログに転載。

多少、ブラッシュアップしました。

 

<司法試験合格者人数のひずみ>
 
ボクが大学生になったころ、司法試験は年1回で(今でもそうだけど。司法試験法上は、年1回以上となっている)、1年の合格者は約500人と相場が決まっていた。
後述するように500人時代は1961年に始まり、ボクの大学入学が1980年だから、20年間不動だった。500人が当たり前と思っていた。
資格試験なんだから、一定の学力が備わっていれば合格する。そこに達していなければ不合格だ。それが理屈だ。結果として、その年の受験生のできが良ければ、600人700人、できが悪ければ、400人300人でもよいはずだ。否、それが道理だ。しかし、約500人と決まっていた。
他方、たとえば、大学の入学試験は、大学の経営とキャパによって、人数制限という考え方が妥当する。我が母校W大学法学部の場合、1学年1500人が目安だ。大学経営上も、教育キャパからも、丁度良かったのだろう。(実際には、もっと多くが合格する。しかし、東大にも合格した。あるいは、同じ大学だが政経学部にも合格した。そういう人が入学を辞退する。その目減を勘案して、多めに合格させ、辞退後の人数が1500人になるのが正解だ。ところが、ボクの学年は1800人いた。大学側の計算(予測)ミスだ。合格最低点には300人がいると言われていたから、大学が1点間違えた。ということだろう。ただ、300人の誤差を吸収できてしまうとことが、マンモス大学の余裕だ)
しかし、資格試験では、そうは行かないはずだ。
ただ、司法試験は、司法研修所への入学試験という実態もある。司法試験に合格したが司法研修所入所をしない人は、年に数人だけだ。ほぼ誤差は発生しない。
教室の数、教員の数、実務修習の受入れ体制。
そして、当時は給費制だったので、修習生に対する給費予算枠の制限。これらから、約500人が限界だったのだろう。上限は理解した。
でも、できが悪かったら、300人400人でも下限に制限はないのでは?合格者数を減らすと、司法研修所の入所人数も減る。必然的に予算が余る。役所の悪い慣行で、余った予算は翌年削られる可能性が高い。だから、役所は、年度末が近づくと、必要性のない(低い)ことに無駄金をつぎ込んで予算を使い切るのだ。翌年の予算を同レベルに保つために。司法修習予算も同じ理屈で削られる危険性がある。そうすると、来年から500人を合格させることが出来なくなり、じり貧となる。下限もあることが理解された。
 
 
さて、実際の合格者数を見てみよう。
FBに当行当時は平成で書いていたが、令和になったので、西暦に書き直す。
 
 
司法試験合格者人数は、
1960(15期?)以前は、合格者が400人以下だった。
ぼくが出生した1961年に革命的に人数が増え、499人が合格し、いわゆる500人時代となった。
この500人時代は、1990年45期まで30年間続く。
30年も続くと、既定路線、固定数字と考えられ、これが変動するなんて、だれも考えていなかった。
 
ところが
1991年46期に600人時代に。
30年続いた固定数字も、一度変わると、固定では無かったんだ。と土台が崩れ、どんどん変更されていく。
1993年48期に700人時代に。
(この年は、四捨五入すると800人なのだが)
1998年53期に実数800人を超え
1999年54期に1000人時代を迎える。
2002年57期に1200人時代。
2004年59期に1500人時代となる。
この歴史の中、平成6年(700人時代)に、研修所が和光に移転する。
和光移転計画は、合格者人数=修習生単年人数=700人を念頭に置いて作られた計画である。
当時、法曹三者は、司法試験合格者の適正人数について協議していたわけだが、その協議を無視して、突然、最高裁(天)から言い渡された確定判決であった(当然、反発があった)。
和光計画にとっては、1500人2000人あるいは3000人への増員は、まったく寝耳に水であって、ビックリポンな事態である。
若い人たちは、こういう歴史を踏まえておく必要があると思ふ。